Parliamentary Debate(パーラメンタリー・ディベート)


 Parliamentary Debateは、イギリスの議会をモデルとして生まれたスタイルです。本場イギリスでの歴史は古く、15世紀にはすでに大学間で対抗試合が行われていた、とされています。一方で日本での歴史はまだ浅く、本格的に日本に輸入されたのは1990年代に入ってからで、ICU(国際基督教大)と、関東のESSの集合体であるKUEL(関東学生英語会連盟)が、それぞれ90年〜91年の間に独自にこのスタイルのディベートを始めたのが最初のようです。

 これ以降、どちらの団体も毎年独自の大会を開いていましたが、95年頃からは段々と本格的に取り組む大学も増加し始め、1998年にはICUを中心としてJPDU(日本パーラメンタリーディベート連盟)という学生団体が生まれます。一方で、KUELは大学間のまとめ役という立場からは完全に外れてしまい、2002年からは大会も開かれなくなりました。現在、日本のParliamentary DebateはこのJPDUを中心に動いており、約30の大学が加盟しています。設立当初は、その活動範囲は主に関東に限られていたのですが(例外的に、北九州大だけは古くから参加していた)、2003年からは関西地区の大学の開拓にも力を入れているようです。また、この他に各大学のチーフが集まってIXIAという組織も作られています。

 最近では、大会も比較的たくさん開かれており、ESUJ(日本英語交流連盟)という団体が主催する最高峰の大会(10月)、JPDU大会(9月と12月)のほか、ICU Tournamentをはじめ各大学が主催する大会もいくつか開かれています。また、このスタイルではアジア大会、オーストラリア大会、世界大会などが開かれており、それぞれ独自のルール・形式を採用していることから、参加予定者のためにWorld Preparatory Tournamentといった準備大会も開かれています。近年では、特にオーストラリアとの交流を強めようとしているようで、オーストラリア政府の支援を受けつつ、研修のために毎年数人の選手が派遣されています。

 Parliamentary Debateのスタイルは、国内で行われている他のAcademic Debate系のスタイルとは全く異なっており、特に「議論の内容(Matter)だけでなく、同様にマナー(Manner:話し方、表現、声の大きさ、身振り、チームワークなど)を重視する」という点が最大の特徴だと言えます。もともとディベートというのは人を「説得する」競技のはずですが、人を説得するために必要なのはもちろんロジックだけではありません。例えば、相手がいくら正論を言っていても、机の上に足を載せながらふんぞり返って話をしていたら、やはりその人を信用したくなくなるでしょう。Parliamentary Debateでは、こういったロジック以外のマナーも「説得」の大切な要素としてチェックされます(このために、しばしば「議論の中身では圧勝してるんだけど、マナーが悪かったから負け」といった、Academic Debaterにとっては恐るべき判定が下されます)。

 論題は試合ごとに変わり、しかも試合の15〜30分前に発表されるので、資料を探している暇はなく、その場でパートナーとだいたいの方針だけ話し合って、ほとんど即興でスピーチをすることになります(国内で「即興ディベート」と言えば、たいていこのスタイルのことを指します)。ジャッジは「常識をもった平均的な人(Average Reasonable Person)」ということになっており、一般常識の範囲内で議論をすることを求められるため、Academicのように証拠資料を引用して専門知識を持ってきても、多くの場合は判定に考慮してもらえません。「自分の言葉で聴衆を説得する」ということが重視されているので、他人の権威を借りよう、という発想は有効ではないようです。ただ、資料(Evidence)の引用は無意味ですが、例(Example)をあげるのは奨励されます。

 また、Academic系の「質疑(Q&A)」に相当するものは、Parliamentary Debateにはありません。そのかわり、相手のスピーチ中に席を立ち上がって直接質問する「Point of Information」というものが認められています。(つまり、相手のスピーチ中にガタッと立ち上がり、相手がOKしてくれたらその場で直接質問ないし反論できる。時間は15秒以内にすべきとされる)。ただし、話し手はこれを拒否することもでき、また各スピーチの最初の1分・最後の1分はPoint of Informationできないことになっています。だいたい、話し手は1つのスピーチ中に2〜3回とるべきとされていて、それより少なかったり多かったりすると、マナー点が下げられます。

 ジャッジは試合中、議論内容(Matter)とマナー(Manner)について、それぞれに細分化されたチェック項目(分析の深さ、構成のわかりやすさ、英語の美しさetc)を採点し、勝敗はこのポイントの合計で決まります(MatterとMannerが50点ずつで、両者は同じ比率になっている)。この結果はその場では教えてもらえず、最後のアナウンスの際にポイントを書いた紙がまとめて返ってきます。

 Parliamentary Debateでは、明文化されたルールでかなり細かく議論の方法が制限されています(大会ごとに微妙にルールの文面が変わります)。国内で最も一般的なルールの主な特徴を以下に記してみると、
  • 議論内容だけでなく、マナーが同様に重視され、勝敗に影響する。
  • 論題は試合ごとに変わり、発表は試合開始の15分〜30分前(通常は20分前)。従って、即興性が求められる。
  • 論題は政策論題だけでなく、どの大会でも必ず一つは価値論題(「リンゴはミカンよりおいしい」とか)が出される。極めて稀だが、事実論題(「日韓ワールドカップサッカーは成功したか」とか)が出されることもある。
  • 証拠資料の引用は基本的に無効。常識の範囲内で議論を行わなければならない。ただし、例(Example)をあげることは奨励される。
  • イギリスの議会がモデルになっているので、肯定側は「政府側(Government)」、否定側は「野党側(Opposition)」と呼ばれる。
  • 2人1組でチームを組む。形式は、立論2回、反駁1回。時間はそれぞれ7分(ないし8分)、4分。試合中の準備時間はなし(日本で主流のNorth American Styleの場合)。
  • 質疑の時間はなし。そのかわり、立論のあいだは相手のスピーチ中に、有名な「Point of Information」をすることができる。
  • 反駁の時間には、Point of Informationは認められていない。ただし、NewArgumentなどルール違反があった場合には、「Point of Order」としてジャッジにアピールすることができる。
  • メリット・デメリットや、それに対する反論は、基本的に全て立論のあいだに出す。反駁はそれまでの議論を「まとめる」場なので、新しく反論を出したりするとNewArgumentになる。ただし、直前のスピーチで新しく出てきた議論に対しては、反論しても良い。
  • 肯定側は、最初に論題の解釈を示し、ポイントと呼ばれる論点(メリットもこの中に含まれる)を提示する。ほとんどのチームはプランを示さない。
  • 肯定側の論題の解釈があまりに常識を外れている場合は、否定側は「Definition Challenge」という形で、別のもっとまともな解釈を示すことができる(なお、ここで辞書の定義を引用してもほとんど意味をなさないようです。やはり「常識の範囲内」ということになります)。解釈が妥当かどうかの判断は、「いまの社会状況を考慮して、どういう意図で策定者は論題を出したのか」という点で決められる場合が多い。
  • Counter Planはルール上は認められているが、奨励されていない(また、Academicの感覚で出しても絶対に理解されません)。
  • 選手・ジャッジとも、ほとんどの人はフローシートに逐一議論を書き取っていくようなことはしない。ノートにメモを取っている程度。
  • 下を向いて原稿を読む、というようなスピーチをしていると、マナー点を大幅に下げられる。原稿は基本的に使わず、メモをチラチラ見つつ、常にジャッジを見て話すのがよい、とされている。
  • メリットの判定では、現状で問題があるのかどうか、という点(Inherency)のチェックが、かなり厳しい。
  • 基本的に、メリットとデメリットを比べてどちらが大きく残ったか、といった基準では判定はしない。試合を通じたスタンスのようなものを重視する。
となります。Parliamentary Debateの利点としては、 といった点があげられるでしょう。特に、コミュニケーションを重視しているだけあって、英語の美しさ・わかりやすさは、Academic Debateの比ではありません(ただ、マナー点は英語が上手い人の方が当然高くなるので、帰国子女がかなり有利になります)。

 一方でもちろん問題もあって、とにかく即興でやる、という性質上、どうしても議論が浅くなってしまいがちです。おそらく、私自身が文化の違いを吸収しきれていない、という部分も大きいのでしょうけれど、Academic Debateに比べると、やはりどうしても議論内容が貧弱に感じられてしまいます。

 現実には、議論のレベルは完全に二極化してしまっているようで、本当にごく一部の大学、特に国内トップを独走しているICUに関しては、議論の内容もかなり整っている、という印象を受けました。ただ、多くの大学はまだまだ発展途上ですし、ジャッジのレベルも本当に多種多様なので、少なくとも現状のままでは、「深い議論をガンガン戦わせたい」という人にとっては、非常に物足りなく感じられるかもしれません。

 ただ、こうした問題の原因の大半は、Parliamentary Debateというスタイルそのものよりも、どうやら「まだ国内のコミュニティが成熟しきっていない」という現状にあるようです。実際、アジア大会や世界大会のビデオを見ていると、イギリスやオーストラリアといったネイティブの強豪国は「おぉっ、すげー」という議論をたくさん展開していますし、スピーチもそれなりに高速になります。国際的に見ると、日本はまだアジアのかなり下位の方をさまよっているという状況のようですが、海外との窓口の役割も果たしているJPDUは、強豪国のディベーターをゲストに迎え毎年セミナーや大会を開くなど、レベルアップに努力しています。実際、国内の他のディベート・コミュニティに比べても、ここ数年のJPDUの規模の拡大には目をみはるものがありますし、今後の成長には大いに期待できそうです。

 なお、結構ここまで批判してしまったのですが、やはりAcademic Debaterも食わず嫌いをせず、一度はParliamentary Debateを経験してみるべきです。議論内容には満足できないかもしれませんが、原稿や資料に頼らず自分の言葉で語る、という姿勢や、マナー重視のスタイルの格好よさ(なんとスピーチは「Hello, Ladies and Gentlemen!」から始まる)は非常に参考になりますし、一種のカルチャーショックすら受けるはずです。時間が許すなら「どちらもやる」というのが最高の選択肢でしょう。

※逆に、Parliamentary Debateをやっている人も、ぜひAcademicの大会に参加してみることをお勧めします。現在の両者の交流のかたちは、Academicをやっている人が、たまにParliamentary Debateにも参加する、という一方通行になってしまっていて、その逆はほとんど聞いたことがありません。パーラーがAcademicにはない美しいマナースタイルをもっているのと同様に、Academicにもパーラーにはない要素がたくさんあるはずです。やはり食わず嫌いをせず、時間が許せば「両方やる」というのが一番の選択肢でしょう。

※Academic Debate経験者のための追加記事

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