Academic Debateはアメリカで生まれたスタイルで、古くは1800年代(あるいはそれ以前)から、その原型となる形式で試合が行われていたようです。現在日本が取り入れているのは、アメリカ最大のディベート大会の一つであるNDT(National Debate Tornament)のスタイルを模倣したもので、このために国内ではしばしば「NDTスタイル」とも呼ばれます。
では、日本にはじめてディベートが伝わったのはいつなのか。明治時代に福沢諭吉が持ち込んだのが最初だ、という説が有力なようですが、本格的に今のスタイルの大会が開催されるようになったのは、1950年頃からとされています。NDTが成立したのが1947年なので、比較的敏感にアメリカの動きを反映していたと言えそうです。実際には、1980年代前半にもう一度生きたNDTの理論を再輸入しているのですが、とにかくこの後、約40年間にわたって、Academic Debateは事実上国内標準のスタイルとして日本のディベート界を支え続けることになります。
現在、大学でのAcademic Debateの活動の中心にあるのが、1983年に設立されたNAFA(全日本英語討論協会)という学生団体です。北海道から九州まで、約80大学のサークルが加盟しており、各地で数多くの大会・セミナーを開いています。この他にも、全国のE.S.S.の集合体であるJUEL(全日本学生英語会連盟)がAll Japanという全国大会を開いているほか、ディベート好きの学生が自主的に運営するKAEDE、KIDL、AYAMEといった各種団体が、大小さまざまな大会を開いています。
これらの大会は、おおまかに、前期(3月末〜6月)と後期(9月〜12月)の2つのシーズンに分かれています。シーズン前の2月と8月に、JDA(日本ディベート協会)という団体が新しい統一論題を発表するのですが、それから半年間は、この1つのテーマについて議論を重ねていくことになります。大会は、1・2年大会、準メジャー(中規模の全国大会)、メジャー(最大規模の全国大会)の3種類に分類され、後者になるほどレベルが上がります。もちろん、全員が全ての大会に参加するわけではありません。多くの場合は、自分の予定に合わせて出たい大会を決め、それに照準をしぼってパートナーと準備をすることになります。大会は基本的に土日に開かれます。大きな大会では、1週目に予選を4〜8試合行い、上位チームが2週目の決勝トーナメントに進む、という形になります。
大学でAcademicDebateを始めたい場合には、多くの場合、まず各大学に1つずつあるE.S.S.というサークルに入らなければなりません(早稲田のように、WESSとWESAの2つに分かれている、といった例もたまにありますが)。E.S.S.とは、「English Speaking Society」の略で、様々な活動を通じて英会話の力を伸ばそう、という趣旨のサークルです。普通はDebate、Disucussion、Drama、Speech、Guideなどのセクションに分かれて活動しており、Academic Debateをやっているのは、このうちのディベートセクションです。なお、大学によっては、ディベートセクションがないE.S.S.や、Parliamentary Debateしかやっていないディベートセクションもあるので、注意しましょう。また、慶応のKDSのように、E.S.S.ではなく、ディベートだけを総合的に扱うサークルとして活動している団体もあります。学生の多くは、就職活動をひかえているため、3年生の秋〜冬に引退します。
※ディベートセクションの普段の活動や練習については、一例として東京大学E.S.S.の活動内容を上の「Falcons」の項目に詳しく書いてあるので、そちらを参考にしてください。
大学のAcademic Debateの最大の特徴は、「議論の内容に関して明文化されたルールがない」という点です。もちろん、大会運営の方法や、スピーチの時間・順番、資料のねつ造の禁止についての規定はありますが、「こういうスタンスにのっとってジャッジすべきだ」とか「肯定側はこういうことを立証しなければならない」といったことは、一切定められていません。それらは全て「debatable(その辺も含めて、試合中に議論して決めてくれ)」ということになります。極端な例を出せば、たとえば「ディベートの目的は、とにかくテーマを問わず議論をして互いの論理力を競い高め合うことにあるのだから、肯定側は別に論題を肯定する必要はない」「時代は常に変革する姿勢を求めており、メリットとデメリットが同じなら、肯定側を勝ちにすべきだ」などという議論も原理的には可能です。もちろん、実戦でこういった話が出ることは極めて稀ですし、ルールはないにしても、過去の蓄積から「肯定側にはだいたいこういうことを証明する責任があり、ジャッジはこういうスタンスでいれば矛盾なく判定できる」という定跡のような理論は共有されているので、それらを突き崩してジャッジの考え方を変えるには、相当な労力が必要になります。また、そもそもこういったディベートの枠組みそのものに関する話ばかりに議論が終始してしまうのも問題でしょう。ただ少なくとも、ディベートで当然とされていた前提に「なんでこうならなきゃいけないんだろう」と疑問を抱いたとき、その主張にしっかりと根拠と筋道をつけて訴えれば、きちんと受け入れてくれるだけの懐の深さはある。多くのスタイルでは、こうした疑問を「とにかくルールだから」で片付けてしまいますが、そこも含めて納得のいくまで徹底的に突き詰めることができる。これがAcademic Debateの最大の特徴と言えます。
試合形式に関して、一般的な特徴をあげておくと、
- 基本的に全て英語でスピーチする。
- 勝敗の判定は、議論の内容だけで行い、マナーなどは一切考慮しない(ただ、あまりに早すぎたり難しすぎたりして、ジャッジが理解できなければアウト)。
- 形式は立論2回、反駁2回で、持ち時間はそれぞれ8分・5分。
- 2人1組でチームを組む。1st Speakerが1立・1駁を、2nd Speakerが2立・2駁を担当する。
- 質疑(Q&A)は各立論のあとに4分ずつ。
- 準備時間は各チーム10分ずつで、試合中はどこで使っても良い。
- 基本的には、メリット(Advantage)とデメリット(Disadvantage)を比べて、最後にどちらが大きく残ったか、で勝敗が決まる。
- CounterPlan、Topicalityに代表される、あらゆるセオリーが認められる(もちろん、十分な立証が前提)。
- 肯定側の第一立論では、プラン・メリットの説明をするのが一般的。
- 否定側の第一立論では、デメリット以外に、メリットへの反論や、Counter PlanやTopicalityをいくつか出すのが一般的。
- 第二立論までは、新たなメリット・デメリットやセオリーを出しても構わない。反駁の時間にこれらを出すと、通常はニューアーギュメントとなって無効。
- 立論は「材料を出すところ」、反駁は「それらを擦り合せてまとめるところ」という位置づけなので、主要な反論は第2立論までに出してしまうのが原則。ただし、直前のスピーチで新しく出てきた議論に対してだけは、反駁の中で反論してもよい。
- 最後のスピーチとなる第二反駁で選手が触れなかった議論については、ジャッジは全てあきらめたものとみなし、多くの場合は判定に考慮されない。
- 議論の立証にあたっては、引用された証拠資料を重視する。論題の解釈については、辞書の定義を重視する傾向が強い。
- ジャッジによって、微妙に初期状態のスタンスが違うので、試合前に「フィロソフィー」という判定基準を書いた紙を配られる。
- スピーチを始める前に、ジャッジにフローシートの並べ替えをさせるため、自分がどういう順番で話を進めるのかを「ロードマップ」として簡単に説明する。
- スピーチ中に読んだ資料は、スピーチ終了後に相手チームに全て渡す。
- 判定は試合の終わったその場では伝えられず、「バロット」と呼ばれる試合結果・判定理由を書いた紙が、予選終了時など、勝ち抜いたチームをアナウンスする際にまとめて配られる。
となります。(※なお、「あらゆるセオリー」と書いていますが、メリット・デメリット以外に日常的に試合で見ることができ、実際に勝敗の決め手になっているのは、CounterPlanとTopicality、それにプランの実行可能性に関する話くらいです。他にも、名前だけあげるならAlternative Justification、Counter Agent(Counter Planの一種)、Counter Warrant、Kritik、パラダイムに関する話など色々ありますが、勝ちにもっていけるだけの立証をするのが非常に難しく、滅多にお目にかかることはありません)
※CounterPlan、Topicalityなどの代表的なセオリーについては、上の「Download」の項目に日本語のテキストをおいてあるので、そちらを参照してください。また、次の「高校と大学の違い」の章にも、簡単な説明があります。
歴史が長いのと「ルールがない」という特性から、Academic Debateにはロジックに関する膨大な量の理論が体系化して蓄積されており、「論理」という点だけから見た場合、全体の議論のレベルは、少なくとも他の2つのスタイルに比べれば、かなり高い部類に入るといっていいようです。一方で、長い歴史の中で様々な問題点も指摘されていて、
- わりと速い英語で専門用語を交えたスピーチを展開することも多く、大会前は準備も必要なので、最初の半年くらいはなかなかとっつきにくい。
- 論理至上主義を突き詰めるあまり、英語の美しさや聴衆とのコミュニケーション、いった部分がおろそかになっている。
- ディベートの枠組みをきちんと理解しないまま安易にセオリーに頼ってしまい、かえって論題から生まれるメリット・デメリットの証明という最も本質的な問題について、あまり考えようとしないディベーターも一部に存在する。
- 英語で早く話していると、逆に証明の甘いところもごまかせてしまい、現実離れしたとんでもない議論がとおってしまうことも。
といった批判もうけています。もちろん、NAFAもこうした問題は認識していて、セミナーなどを通じて改善を試みてはいるのですが、すべての批判を返上するにはまだ長い努力が必要かもしれません。このあたりはむしろ、高校生ディベーターたちを見習うべきでしょう。
なお、こうしたNAFAの流れとは別に、大学の医学部E.S.S.の集合体であるJIMSA(日本国際医学ESS学生連盟・1962年設立)という団体が、毎年秋に大会を開いています。95年前後からはNAFAのAcademic Debateと同じ形式を採用するようになり、論題は医学系のものが選ばれることが多いようです(2003年は電子カルテでした)。一般のE.S.S.との交流はあまりないため、大会数は少ないものの、例年春と夏にNAFAから講師を呼んでセミナーを開いたり、最近では日本語大会も開かれるなど、独自の試みを続けているようです(余談ですが、JIMSAの総会での議事進行規則を読むと、なんと「Point of Information」が登場していたり、Parliamentary Debate、あるいはその原型であるイギリス議会を真似ようと試行錯誤した様子を読み取ることができます)。