海外のディベートと日本の関わり


 最後に、海外のディベート活動と日本の関わりを簡単に紹介して、この一連の文章を終わることにします。

 当たり前のようですが、そもそもディベートは欧米で生まれたものなので、当然海外にも多くのコミュニティが存在します。各国ごとの詳しい事情は調べきれないのでわかりませんが、たとえば、アメリカで行われているディベートは、だいたい以下の3つに分類できるようです。  日本の現状とは異なり、世界的に最も普及しているのは、Parliamentary Debateのスタイルです。一方、日本で普及しているAcademic Debateは海外ではPolicy Debateと呼ばれることが多いのですが、このスタイルの大会を行っているのは、アメリカ・日本など、ごくわずかの国に限られているようです。また、Lincoln-Douglas型のディベートはほとんどアメリカでしか行われていないようで、チームではなく「1対1」で試合をする形式の総称となっています。

 実は世界から見ると、日本はまさに「ディベート最後進国」といっても過言ではない状況にあるのですが、その辺りの状況も含めて、海外と日本のつながりを少しずつご紹介していくことにしましょう。


海外のPolicy Debate(Academic Debate・NDTスタイル)


 冒頭に「世界で最も普及しているのはParliamentary Debateだ」と言っておいてなんなのですが、自分にとっては馴染みが深いので、まずPolicy Debateから見ていくことにします。「Academic Debate」の章でも紹介したとおり、戦後米軍に占領されていたことも手伝ってか、アメリカ原産のこのスタイルに日本は強い影響を受けています。中でも影響が大きかったのが、1947年から東部を中心に始まった「National Debate Tournament(NDT)」と呼ばれる全米大会です。この大会の初期に採用されたスタイルは、
  • 与えられた政策論題について、十分準備を重ねた上で試合に臨む。
  • 証拠資料を用いた証明を重視し、超高速のスピーチが展開される。
  • 2人1組でチームを組む。形式は立論2回、反駁2回で、時間は9分、6分(日本より長い)。準備時間は各チーム10分。
といった、現在に通じる特徴をすでに持っていましたが、唯一「Cross Examination(質疑・Q&A)がない」という重要な違いがありました。

 ロジックをとにかく尊重する彼らのスタイルは、「地上最速の英語」とまで形容された、ネイティブでも聞き取れない超高速スピーチを生み出し、その一般聴衆に理解しづらいディベートスタイルには、次第に内部からも反発が起こるようになります(いかに彼らのスピーチが高速化していったかは、NDTがまとめた資料を見るとよくわかります。1スピーチで引用した資料が50枚を超えることはざらです)。この結果、1971年にはNDTに対抗する形で、主に西部の大学を中心に、新たに「Cross Examination Debate Association(CEDA)」という組織が作られ、「もっとコミュニケーションをとれるディベートを」ということで、以下のような独自のスタイルを打ち出した全米大会が開かれることになりました。
  • 基本的に、政策論題ではなく、価値論題を扱う(うどんはそばより旨い、的なもの)。
  • 証拠資料を用いた証明は認めるが、資料に頼りすぎたり、観衆を無視した超高速スピーチは戒められた。
  • Cross-Examination(質疑)を採用。2人1組でチームを組む。形式は立論2回、反駁2回で、時間は8分、4分(NDTより短い)。質疑は立論のあとにそれぞれ3分。
 こうした圧力を受けて、NDTも1976年からは形式をCross-Examination(質疑)を採用したものに切り替えています。一方のCEDAも、当初は扱わないはずだった政策論題を採用するようになり、NDT同様に結局スピーチも高速化の一途をたどってしまったため、現在ではNDTとCEDAの差はほとんどなくなっています。1996年からは、それまでバラバラだったNDTとCEDAの論題も統一されるようになりました。

 この他、有名な大会としてはDixie Classicなどがあります。多くの場合、試合はVarsity(参加制限なし)、Junior Varsity(経験2年以内)、Novice(初心者)の3種類に分かれていて、基本的に1つの週末(金・土・日が基本、場合によっては月曜も)で大会は完結するようです。

 アメリカのPolicy Debateと、現在の日本のAcademic Debateの違いとしては、まず、論題の範囲がアメリカの方がずっと広い、という点があげられます。日本の場合、「日本は原発を全廃すべきだ」というように、アクションが分かりきっているものが多いのですが、たとえば2002年度のNDT-CEDA共通論題は、

「アメリカ合衆国連邦政府は、以下のうち1つ以上の条約について、批准または加盟・執行すべきである:包括的核実験禁止条約、京都議定書、国際刑事裁判所に関するローマ規程、市民的及び政治的権利に関する国際規約の第2選択議定書 死刑廃止条約、アメリカ合衆国とロシア連邦との間の戦略的攻撃(能力)の削減に関する条約(もし合衆国によって締結されなければ)」

となっており、非常に広範なトピックが議論されることになります(ネット上で過去の論題リストが参照できます)。

 この論題の広さゆえに否定側はなかなか対策をしづらいようで、試合では、論題に関係なく使える「Generic」と呼ばれるデメリット・セオリーが非常に頻繁に展開されているようです。中でも、日本ではまだ普及していない、有名な「Kritik(critique・クリティーク)」と呼ばれるタイプの議論が、主要な戦略として定着しています。これらは価値クリティーク、言語クリティークなどに分類されるようで、ここでは詳しく述べませんが(詳細は、英文であればここここ、日本語であればDebate Forumのバックナンバー第48号(2001月)を取り寄せてください)、とにかく相手の議論の裏にひそむ「前提」を批判する、というのが根本にある考え方です。

 たとえば、価値クリティークでは、相手が「日本は科学技術の発展につとめるべきだ」と言ってきたのに対し、「その考え方は、科学至上主義を前提としている。しかし、その価値観を押し進めた結果、かえって自然と調和した伝統文化を破壊し、環境問題という新たな問題を生み出し・・・(以下続く)」といった具合に、相手の議論の前提にある価値観そのものを批判することになります。実は、日本でもあまり勝ち負けに関係ないレベルでは「Decision Rule」あるいは「スタンスそのものの批判」といった形で、価値クリティークに近い議論は提出されていました。ただ、こうした議論は日本ではデメリットの深刻性を大きく見せる、程度の補助的な意味合いで評価されていたのに対し、アメリカではそれが単独で勝敗を決するところまで深められている、というところに違いがあります。私自身、試合で何度かKritikを出されたこともありますが、「メリット・デメリットの比較ではなく、なぜ優先的にKritikによって勝敗を決めなければならないのか」という最後の証明が非常に難しいので、私の知る限り、国内で成功した例はまだないようです(もちろん、これが成功するにはディベートそのものに対する本質的な理解が大前提なので、安易な気持ちで出すべき議論ではないでしょう)。
 なお、あるOBの方の証言によれば、1990年代前半までは日本でも「大プロポ(broad topic)」とよばれる「広い」論題が採用されていたようです(一方、最近の「狭い」論題は「小プロポ(narrow topic)」という俗称で呼ばれています。具体的な事例は過去のJDA論題のリストを参照してください)。このため、やはりアメリカと同じように「Generic」が頻発してしまい、論題そのものについての議論がなかなか深まらない、といった弊害が指摘されるようになってきたため、91年からは大小2つの論題が併記される形で発表されるようになり、93年後期〜94年あたりからは「狭い」論題のみに絞られるようになった、という経緯が存在します。また、Kritikはなかったものの、当時は似たような趣旨で「Punishment(相手は何らかの悪いことをしたから、罰として負けにすべきだ)」という議論が出されていた、というお話も頂きました(ただ、やはり安易に出すべき議論ではないでしょうし、最近は淘汰されてほとんどお目にかかりません。私も何度か実戦で食らいましたが、Kritik同様、「なぜ簡単に負けにすべきなのか」の分析が浅すぎるので、ジャッジは一顧だにしない場合が多いようです)。

 その方の視点からは、いまの日米の違いは、「つまり、近年だけを見ると日米で大きな違いがあるように見えますが、それは単に、日米で論題のサイクル(『狭い』が連続する時期と『広い』が連続する時期との繰り返し)がずれているのだと思います」と結論づけられるようです。

 残念ながら、こうした本場のディベーターたちと直接試合をする機会はなかなかないのですが、JDAが主催する「日米交歓ディベート」という企画により、2年に一度、奇数の年の6月に、NDTのトップディベーター2人(とコーチ)が、約2週間にわたって日本各地の大学をまわり、訪問先の学生と、交流試合やレクチャーを行います。また、逆に偶数年の3月には、日本で選ばれたディベーター2人が約1ヶ月にわたってアメリア各地の大学をまわり、やはり交流試合やNDTの見学を行います。実際に現地へ行った人々の話では、やはり日本人は英語力・ロジックともにアメリカのトップとは圧倒的な差があるそうですし、交流試合も本気でやっては話にならないので、聴衆に見せることを意識した「パブリック・ディベート」という形で行われますが、それでも選ばれた人々は非常に大きな刺激を受けて戻ってきます。

 本来ならこうした機会をもっと増やせればよいはずなのですが、Parliamentary Debateとは違って、Policy Debateには国際大会といったものが存在しないため、なかなか交流を拡大するのは難しいようです。しかし一方で、引退前の私を含めた現役のディベーターたちが、国内でもインターネットなどから入手できる情報(たとえば有名な「Debate Central」)を十分に活用できているか、といえば決してそうではありません。10年前に比べてディベーターの努力が足りない、という大御所陣の意見は非常にもっともで、まずは私たち自身に、国内で学べることをやりつくすくらいの気概が必要でしょう。「アメリカと交流の機会がない」ということを嘆くのはそれからです。


海外のParliamentary Debate


 続いて、Parliamentary Debateに移りましょう。イギリスの議会をもとにして生まれたこのスタイルは、15世紀にはすでに大学間の対抗試合が行われていたとされ、その後イギリスの植民地拡大も手伝って、徐々に世界に普及することになります。実はParliamentary Debateにもいくつかのスタイルがあり、中でも の3つがよく知られています。このうち、日本やアメリカの大会ではNorth American Styleが主に使用され、アジア大会とオーストラリア大会ではAustralia-Asian Styleが、世界大会ではBritish Styleが、それぞれ採用されています。

 特に英語圏の国々では、国境を越えた交流試合は20世紀前半から行なわれていたようで、1950年代にはイギリスのOxford大学のチームがインドなど各国をツアーして回った、という記録が残っています。ただ、国際大会が開かれるようになったのは比較的最近で、1976年にロンドンで開かれた TAUSA(Trans-Atlantic University Speech Association)大会が最初だとされています。第1回大会には、アメリカ・カナダ・イングランド・スコットランドの各チームが集まり、最終的にOxfordが優勝しました。翌年以降は、オーストラリア、アメリカなどに会場をうつしながら、ほぼ毎年TAUSA大会が開催されていましたが、この大会は招待制で他国の大学が参加できない、という問題があり、1981年からは「WUDC(Worlds Universities Debating Championship)」という名のオープンな世界大会に形を変えて、今に至っています(2004年はシンガポールが開催地です)。現在では、毎年約40カ国から、300チーム以上が参加しているようです。

 大会の結果を見るとわかるのですが、やはりイギリス(特に有名なOxfordとCambridge)・オーストラリア・カナダといった国々が圧倒的に上位を占めており、英語を母語としない大学は、やはり苦戦しています。日本もICUなどが健闘していますが、まだ予選を突破するにはほど遠い状況のようです(日本は94年にICUが参加したのが最初)。

 また、比較的Policy Debateが優勢とされてきたアメリカでも、20世紀前半からParliamentary Debateは行なわれていたようなのですが、残念ながらこのスタイルでは隣国のカナダの方が強く、米国内で大会がほとんどなかった1970年代までは、カナダのCUSIDという団体の大会に参加するケースが多かったようです。しかし、1981年には、北東部の大学を中心にAPDA(American Parliamentary Debate Association)という組織が生まれ、さらに1990年には、西部に大会がほとんどなかったため、NPDA(National Parliamentary Debate Association)という組織が誕生しています。現在では、米国内でもParliamentary Debateは広く普及しているようで、最大規模の大会では、約200チーム以上が参加しています。

 この他にも、それぞれのスタイルで、地域ごとにアジア大会(1994年から)、ヨーロッパ大会(1999年から)、オーストラリア大会などが開かれています。アジア大会には毎年100大学以上が参加するようで、特にフィリピン・マレーシアあたりは常に上位に来ています。最近では、多くの大会で「Masters」と呼ばれる、卒業生による特別リーグが組まれているようです。また、1988年からは高校生向けに「World Schools Debating Championships」という、同様の世界大会が開かれています。


Lincoln-Douglas Debate(リンカーン・ダグラス型)


 Lincoln-Douglas Debateは、「1対1」で競い合う形式の総称です。1858年の米大統領選で、候補者のリンカーンとダグラスが奴隷制を巡り各地で議論を戦わせた際のスタイルを参考にしている、とされています。ただ、実際にアメリカで行なわれているLincoln-Douglas Debateは、高校と大学でかなりルールが異なるようです。

 大学のLincoln-Douglas Debateの中心的な役割を担っているのは、「NFA(National Forensic Association)」という団体です。大学のLincoln-Douglas Debateは、ほぼPolicy Debateのスタイルをそのまま踏襲しており、以下のようなルールになっています。
  • 1人対1人で試合をする。
  • 立論2回、反駁1回(ただし、否定側は反駁がない)。時間は、6分、3分。ただし、否定側第一立論だけは7分。
  • 質疑は、第一立論の後にのみ3分ずつ認められる。
  • 証拠資料の引用が奨励され、ロジックが重視される。
  • Counter Planなどのセオリーも認められている。
  • 政策論題が中心。
 一方、高校のLincoln-Douglas Debateは、「NFL(National Forensic League)」という団体によって運営されています。こちらのスタイルはちょっと変わっていて、
  • 証拠資料を引用しても無効とみなされる。
  • 価値論題が中心。従って、肯定側はプランを出さず、Counter PlanやTopicalityといったセオリーも存在しない。
  • コミュニケーションをより重視する方向にある。
となっているようです。

 なお、ここにあげた3つ以外にも、決められたジャッジではなく、一般人の聴衆全体が試合の勝敗を決める、「Public Debate」と呼ばれるスタイルが存在します。一般人が説得の対象なので、よりわかりやすく、社会にそのまま通じる形のディベートが展開されます。しばしば大会も開かれており、特に国籍の違うディベーター同士の交流試合は、たいていこの形式で行なわれるようです。

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