そもそも、証拠資料は「本当かどうか争点になりそうな部分の信憑性を高める」ために引用するものです。ある主張を納得してもらうには、権威を借りることももちろん大切ですが、それ以上に、なぜその主張が成り立つのか、しっかりとした根拠を示す必要があります。本来、資料はこの根拠をサポートするために使われるのであって、冒頭のケースのように、単に主張を繰り返すだけで理由付けのない資料は、ほとんど何の役にもたたないことになります。(なお、単に事実やデータを示すためだけに資料を引用する場合には、特に理由付けがなくても問題ありません。この辺りは、議論の質によります)
人間は、どんな病気にかかっても死なないので、何をしても大丈夫である。
××大学助教授 町田やすし / 「本当のいのち」△△堂出版 / 2003年発行
「人類は、どんな病気にかかっても死なない力を持っている。」
→資料は、主張を繰り返しているだけで何の理由付けも行っておらず、全く主張の信憑性を高めることに貢献していない。
資料の出典がきちんと明示されていなかったり、その資料にあまり権威がない場合。
高校1年生 山田花子 / 2003年11月3日付毎朝新聞朝刊
「日本が自衛隊をなくせば、きっと他の国も日本の勇気ある行動に感動するでしょう。そうすれば、世界中の国はみんな日本を見習って軍隊を廃止して、世界平和が実現されるんじゃないかな、と思います。」
→肩書きが単なる高校生。信憑性がない。
平田大学 学長 平田敦/「科学の夢、人類の夢」凡人社 p.41 /1928.03.01発行
「近年科学の進歩著しく、その勢ひは留むるところを知らず。西暦2010年の未来には人類はペルセウス座へ到達しているであらう。」
→年代が古すぎて、もはや現代に通用する資料なのかわからず、信憑性がない。
建築家 田中太郎 2002
「日本の住宅は欠陥だらけです。欧米に比べ、規制が3〜4倍も緩い。」
→出典がないので資料の再確認ができず、信憑性があるとはいえない。
なお、やはり世の中にはどうやってもカードチェックではつぶせない、質のいい証拠資料というものが存在します。