大学のAcademic Debateと、高校までのディベートの違いは?


 この章では、少し本筋からはずれて、高校でディベートをやっている方のために、大学と高校の違いについて簡単に書くことにします。

 あまり試合そのものと関係ないところからお話しすると、大学の方が高校よりも、よりサークルが「生活の場」に近くなる、ということが言えます。一人暮らしで時間や家が自由になる人が多いせいもあるのだと思いますが、交流の範囲も格段に広がりますし(東北・関東・関西に遠征することも多い)、友人の数も格段に増えます。大会も頻繁にあるので、とにかく大学に入ると、サークルの仲間と顔を合わせている時間がずっと増えるはずです。

 試合そのものについては、まず「試合時間が長くなる」「大会の数が増える」ということが言えます。UNION系ディベーターにとっては、 という違いもありますし、ディベート甲子園出身者にとっては、 と、かなり大きな変化が待っています。ただ、大学に入って時間や形式が変わっても、「プランから生まれるメリット・デメリットを証拠資料を使いながら証明し、その上で互いに根拠を示しながら反論の応酬を重ね、最後に残ったシナリオをまとめて終わる」という一連の流れが最も重要であることに変わりはないので、これまでの蓄積は、ほぼそのまま生かすことができるはずです。

 英語や試合形式については、単なる「慣れ」でしかないので、それほど心配する必要はありません(甲子園出身者は「第2反駁が2回になる」と考えてください)。「英語についていけなかった」という理由でやめた、なんて話は聞いたことがありませんし、半年も続ければなんとか使いこなせるレベルにはなるはずです。むしろ、高校で「試合の流れを考える力」「自分で原稿を書く力」を身につけていれば、それは大きな武器になります。

 甲子園出身者は、他にセオリーも最初から勉強することになりますが、実戦で出てくるセオリーの種類は限られていますし、一通り学んで何度か練習試合で実際に試してみれば、誰でもつかいこなせるものです。簡単に説明しておくと、Counter Planとは「否定側が出す、プランの代替案」のことです。たとえば、肯定側の「大気汚染をなくすためにディーゼル車を禁止しよう」というプランに対し、否定側が「禁止は厳しすぎる。クリーン装置を着けるよう義務づければ十分だ」と代替案を出せば、これがCounter Planになります。また、Topicalityというのは、「肯定側のプランが論題の枠の中に入っていない!」と指摘することを指します。「陪審制」論題のときに、肯定側が「サマータイムを導入します」なんていうプランを出して議論を展開しても、論題を肯定したことになりませんよね。これがTopicalityです。

 おそらく、高校でディベートをやっていた皆さんが一番気になる点は、「高校を卒業して、大学で続ける意味があるのか」ということだと思うのですが、少なくとも私個人(ディベート甲子園出身)は、やってみて「得るものがあった」と感じています。正直、入学して間もなくの頃は大学生の実力というものにかなりの疑問を感じていたのですが、実際にやってみると、やはり強い人は強いようです。高校の最前線でディベートをやっていた人間も何人か入ってきますし、大学から始めた人でも、2年・3年と続けると、なにがしかのものをつかんで強くなる人も出てきます。メジャーと呼ばれる最大規模の全国大会でも、予選レベルでは高校生が首をかしげたくなるような試合がしばしば見られますが、やはり大学の上位10人と比べてみれば、いくら高校生ディベートのトップ選手でも、そのままの実力では太刀打ちできないでしょう(なお、1年生ペアが最高レベルの全国大会で優勝した最短記録(彼らはUNION出身)は11月です。これを早いと見るか、遅いと見るかは人によるでしょうが、これは非常に極端な例で、高校生ディベーターでもほとんどの場合は3年になるまでなかなか優勝させてもらえません)。

 現役のAcademic Debater(引退前の私も含む)は、常に大御所OBから「努力が足りない、もっと頑張れ!」と尻を叩かれていますが、それでも「高校ディベートの路線を継承しながら強くなりたい」という人にとっては、Academic Debateは最高の選択肢になりうるはずです。

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